挑戦しかしていない僕の事
初めまして!
ブログをご覧頂きありがとうございます。
海のない町岐阜県でビーチサッカーに挑戦中の鹿島です。
ビーチサッカープレイヤーとしてはもちろんの事、海がない事をアドバンテージとしてビーチサッカーをいかに発信できるかを考えています。
僕たちが挑戦するビーチサッカーを通じて伝えたい事、裸足で遊ぶビーチサッカーの良さが皆さんに伝われば嬉しいです。
はじめに海がないくせにビーチサッカーを初めた男のプロフィールを少しばかりご紹介させてくださいっ!!
- PROFILE
- MY FOOTBALL LIFEその1
- MY FOOTBALL LIFEその2
- MY FOOTBALL LIFEその3
- MY FOOTBALL LIFEその4
- MY FOOTBALL LIFEその5
- MY FOOTBALL LIFEその5
- 最後に-僕が大切にしたい事-
PROFILE
鹿島元気(genki kashima)
Facebook / genki kashima
twitter / @GenkiKashima
instagram / @gen2x5
MY FOOTBALL LIFEその1
サッカー / REDEYE FC
高校時代から僕の挑戦は始まります。
選手として一番大事なユース期。
実は僕が通う高校にはサッカー部がありませんでした。
サッカーがやりたい気持ちが押さえれる訳も無く、当時覚えたてのインターネットで社会人チームを検索し突撃訪問で入団をさせて頂きました。
当時は50m5秒台のスピードとシャトルラン無限ループのスタミナがあり、社会人サッカーでは無双だった記憶があります。笑
サッカーは週に2回という活動の少なさで物足りなさはありましたし、どうしても同級生とサッカーがしたい!という事で学校にサッカー部作りましょう!みたいな挑戦もしていました。(野球部が甲子園常連だったので見事撃沈でしたが)
学校終わりに1時間弱自転車で練習に通い大人に混じってサッカーを真剣に取り組み、空いた時間はバイトや彼女(今の奥さん)とのデートというハードな経験は何とも不思議な高校生活でした。
MY FOOTBALL LIFEその2
フットサル / エラシカ
10代後半から20代前半。
僕は高校を卒業しそのまま就職をする道を選びました。
当時は好きなスポーツを仕事にしたくてスポーツクラブのインストラクターという仕事をやっていました。
仕事柄休みが不定期な為、実はこの時期はフットボールから離れていた時期でもあります。
しかしウェイトリフティングやマラソン等の別競技を経験する事が出来た貴重な時期でもあるのです。
その別競技を経験した事は実際に体作りやスポーツに対する考え方・姿勢に今も含め大きく影響させて頂いてます!
20歳を機に転職を決意します。
彼女(今の奥さん)との今後も考えていたので不定期なスポーツクラブの仕事から、広告代理店の今の会社へ入社する事となります。
広告営業マンとして仕事をし、多忙な日々で1年近くはフットボールどころかスポーツからも全くもって離れてしまいました。
フットサルをやり始めたのはこの会社に入社してから1年後程…(20代前半)。
最初は運動不足解消で…というノリで地元の後輩や友達を集めチームを作ります。
その時出来たのが『エラシカ』というチームです。
このチームはここから約3年程活動する事になるのですが、人が人を呼び寄せるチームで成り立ったすごく面白いチームでした。
一人の人間が後輩を呼び、その後輩がまたその下の世代を呼び…
というような良い連鎖が生まれ15人ほどから成る学生中心のチームになります。
当時は民間大会では無敗くらいのチームでしたがほぼ選手が学生という事もあり資金的な部分を考えて県リーグ等の競技リーグには参戦しておりませんでした。結成から3年ほど経ち、学生組の就職活動のタイミングと共にチームは解散となりました。
MY FOOTBALL LIFEその3
フットサル/amateur(当時岐阜県2部)
20代半ば。
エラシカというチームの解散後はフットサルの魅力にハマっていた僕は競技でやりたい気持ちがあった為、当時熱心にお誘い頂いてた当時岐阜県フットサルリーグ2部所属の『amateur』というチームに加入する事となりました。
僕はサッカーもフットサルも元々フィールドのプレイヤーでしたが、エラシカの活動時期の最後あたりにゴレイロ不足で仕方なくやっていたキーパーというポジションのままamateurに加入します。
フィールドプレーヤーでもちろんやってみたかったですが、何だか普通にやりたくない謎のチャレンジ魂が出てきてしまい、ポジション転向をしゴレイロとして競技活動をしました。
しかしこのチームの選手活動は我が子の誕生や仕事の多忙などで、約1年ほどしか在籍する事が出来ませんでした。
働きながらという環境や家族という存在がある中でアマチュアフットサル選手として活動をする事の難しさを痛感するのです。
MY FOOTBALL LIFEその4
フットサル / エラシカ再結成
20代後半
2人目の我が子の誕生や会社での新事業立ち上げ等が重なり、また1年近くフットボールから離れてしまう時期がきます。
しかしエラシカが解散した際に当時学生だった組が仕事や社会に慣れ、メンバーからも『もう一度集まりたい』との要望もあった為エラシカを再結成する事になります。
新しい選手の加入も迎え入れてフットサルの競技リーグ参入を目標に活動をします。
丁度ビーチサッカーに出会ったのはこの結成から約1年後くらいになります。
たまたまSNSで見つけた『愛知ビーチサッカーフェスティバル』という大会がありました。
この大会にエントリーする事になるのですが、フットサルの箸休めにでも出場しようぜ!って気持ちで全くビーチサッカーを続けるつもりは微塵もありませんでした。
しかし実際は見事にここからビーチサッカーにどハマりしてしまうのですが…。
この大会は東海リーグのチームの試合も見る事が出来て、初めて見る本物のビーチサッカーに感動した覚えがあります。
この大会では、団子サッカーのような形の試合しかしてませんでしたが奇跡的に決勝まで進むことが出来ます。
しかし決勝の相手はビーチサッカーの経験があるチーム相手で全く歯が立たずでしたが、惜しくも後半で逆転されて負けてしまうのです。
箸休めで出たつもりの大会でしたが、帰りの車内では皆悔しさのあまり無言だった記憶があります。
MY FOOTBALL LIFEその5
ビーチサッカー / エラシカ岐阜BS
20代後半
実は初めて出た大会での悔しさが忘れる事が出来ず、その1ヶ月後には別のビーチサッカー大会に出場をします。(ここでも惜しくも準優勝)
2017年夏、僕はビーチサッカーにどハマりしてしまい、フットサルの事は全く頭になくなってしまったのです。
その気持ちは日に日に強くなり岐阜でビーチサッカーやりたいっ!って気持ちが高まります。
しかし海なし県岐阜にはビーチがありません。
色々方法を探してみる事数ヶ月、岐阜の海津市という街にサンドコートがある事を知りそこのコートで岐阜初のビーチサッカー体験会を開催する事になります。
これをキッカケに『海のない町岐阜からビーチサッカーを』を合言葉にビーチサッカーチーム【エラシカ岐阜BS】を立ち上げます。
元々のフットサルチームエラシカのチームメイトや、SNSで呼びかけて集まった選手も含め9人という体制を作り2018年4月より正式に活動が始まりました。
もちろん僕たちはビーチサッカー経験がある選手は一人もいません。
2018年夏、手始めに挑戦した愛知県BSリーグでは得失点差でのリーグ最下位という結果になります。
主力組が突然の転勤や仕事の都合によって参加できなくなるという事も要因の一つですが、ゼロからイチにする事の難しさを痛感すると共に不完全燃焼で終わってしまう事の悔しさが残る夏となります。
MY FOOTBALL LIFEその5
ビーチサッカー / エラシカ岐阜BS
2018年冬 20代最後の年
この年の夏は悔しい思いをしながらも、ビーチサッカーを伝えるという事を軸にし活動をし続けます。
中には辞めてしまう選手もいました。
だけど、僕についてきてくれる選手や仲間は悔しさをバネに腐らずにビーチサッカーを学び練習に励みます。
この地道な努力や活動のお陰で新加入選手も続々と増え応援してくれる人たちもより増えました。
このブログの投稿ページは僕のストーリーを書き続ける為、アップデートを繰り返します。
2019年の夏は東海ビーチサッカーリーグに参入をします。
海のない町からの闘いはまだまだこれからです!
最後に-僕が大切にしたい事-
なぜそこまでしてビーチサッカーにこだわってやるのか?なぜ海がないのにビーチサッカーをやるのか?
ビーチサッカーをやっていると
なぜ?
っと聞かれる事が一番多いです。
僕はビーチサッカーにどハマりし魅力に取り憑かれました。
好きなビーチサッカーの魅力を伝えたい!
っというテーマももちろんありますが、マイナースポーツは資金的な苦労を含めて活動の難しさを感じる事も多くあります。
ビーチサッカーの可能性を追求して『スポーツをビジネスに』というテーマでも可能性を広げていきたいと思っています。
💡現状僕が考えるビーチサッカーの可能性💡
— げんき👣裸足のフットボーラー (@GenkiKashima) 2018年11月7日
✔️サッカーで夢破れた人の受け皿や居場所に出来る
✔️エンジョイ層にウケる気軽さがある
✔️自然というロケーションを活かしたエンタメスポーツに出来そう
✔️ジュニア期のトレーニングスポーツに最高
ビーチサッカーというスポーツがより多くの岐阜の人たちに伝わり、海なしの岐阜県にビーチサッカー文化が誕生する事が僕の夢でもあります。
このブログではそんな岐阜でのビーチサッカーライフを発信していきたいと思います!